昨日のbmr Newsより
”” LA発ギャングスタ・ラップが台頭してきた80年代後半に、
NYで生まれたニュー・ジャック・スウィングのビートにのせた
パーティ・ラップで人気を博したHeavy D / 本名Dwight Arrington Myersが、
今月8日午後1時、自宅のあるロサンゼルスの病院で他界した。
享年44歳という若さだった。
ゴシップサイトTMZ.comによると、
ヘヴィ・Dは買い物を終え、ビバリーヒルズの自宅に戻る際に、
玄関への階段を上る途中で呼吸困難になったという。
知人のデザイナーが発見した際は、
苦しそうに手すりにもたれかかっており、救急車が呼ばれた。
午前11時25分に救急隊員が到着した際、
「息ができない」と訴えていたとのことだが、
搬送された近くの病院で午後1時に死亡が確認された。
一部で肺炎にかかっていたとも報じられているが、
現時点で死亡原因は特定されていない。
警察の調べでは事件性はないとのこと。
ヘヴィ・Dは、1986年にヘヴィ・D&ザ・ボーイズ(Heavy D & The Boyz)
としてUptown Recordsの第一弾アーティストとして契約。
翌87年にテディ・ライリー(Teddy Riley)が
その多くをプロデュースしたデビュー作“Living Large”をリリースした。
90年代に入ると、日本のTV番組の人気コーナー
『ダンス甲子園』でもお馴染みとなった
“Now That We Found Love”や
“Nuttin' but Love”などのヒットを連発し、
故マイケル・ジャクソン(Michael Jackson)の大ヒット曲“Jam”や
その妹ジャネット・ジャクソン(Janet Jackson)の
“Alright”リミックスに参加したことでメジャー・シーンでの成功も手にし、
ラップだけでなくプロデューサーとしての手腕も発揮するようになった。
音楽だけでなくTVドラマや映画に次々と出演し、
俳優としても活躍していたヘヴィ・Dは、
近年は健康を考慮して大幅な減量に取り組み、
今年9月には最新作“Love Opus”をデジタル配信のみで発表(日本未発売)、
10月1日にアトランタで開催されたBET Hip-Hop Awardsでは
往年のヒット曲メドレーを披露して会場を湧かせたほか、
同8日に英ウェールズで盛大に催された
故マイケル・ジャクソン(Michael Jackson)の追悼コンサートにも出演、
ラトーヤ・ジャクソン(La Toya Jackson)と共に
“Jam”をパフォーマンスするなど、
元気な姿を見せていた矢先の訃報となった。
あまりにも早すぎるヘヴィ・Dの訃報に接し、
グランドマスター・フラッシュ(Grandmaster Flash)、
ラッセル・シモンズ(Russell Simons)、ナズ(Nas)、
スウィズ・ビーズ(Swizz Beatz)、ミッシー・エリオット(Missy Elliott)、
レヴ・ラン(Rev Run)、ブランディ(Brandy)、
コモン(Common)、LLクールJ(LL Cool J)
らから次々とお悔やみが寄せられている。(t) ””
また1人、伝説が伝説に。
素晴らしい”歌ラップ”とゆう世界
最高のNJS World
決して忘れません
本当にありがとう
心よりご冥福をお祈りします
<KENNY>